2016/11/30

島より島らしい西貢墟

鹽田梓に行く前に、西貢墟を散策して来ました。

正直に言うと、生れてから、

毎回西貢に来るのがさらに遠い島、さらに奥の山に行くためだった、

いつも乗り換えを目的とする場所として訪れたが、

今まで本当の風貌がちゃんと確かめたことなく、

今回こそ少し時間をかけて回ってみました。


西貢と言えば、海鮮料理の街ですね、

個人的はどれぐらい海鮮を食べたくても、絶対ここを選ばないです。

一応一通りに回ってみます。


大きな水槽の中に様々な種類の魚介類が店頭に並ばれて、

確かにワクワクさせられますね、特に海外からの観光客、

夜になると、屋台の盛り上がりで、ついついお店に入ってしまいますね。


せっかく香港に有数の漁港までに来たから、

その場でとれたての海鮮を食べたい気持ちは非常にわかります。

きっと香港人が築地で食べたい気持ちと一緒でしょう。


海鮮街の突き当りに政府機関の【Fish Marketing Organization】があります。

ようは魚の中央卸の施設です。

ちなみに、香港に7箇所も設置されています。

01-香港仔
02-筲箕湾
03-觀塘
04-長沙湾
05-青山
06-大埔
07-西貢


魚に関する詳細紹介も見れるが、

なぜかこの場所で当日に別のチャリティーイベントも行われて、

そっちで目が奪われた。

話を聞くと、ボランティア団体から作られた活動で、

香港でよく食べれる伝統な祝い食べ物や

茶餐廳でもお馴染みのあれこれのマグネットが販売されています。

手作りだそうで、どれもかわいいですね。



買い出したら、すぐ破産しそうため、結局何も買わず、あとにした。

そしたら、次の街角が西貢墟の心臓である【西貢大街】です。

100年前は市場のような存在でしたが、

1970年代、西貢の萬宜水庫(香港最大貯水量ダム)の完成による、

このエリアの変化をもたらしました。


しかし、変わらずところが変わりません。

まさに【西貢大街】、70~80年代の雰囲気がうまく保たれてるようです。

長洲や南丫島などより、もっと島らしい風景が見れます。


しかし、変わらずところが変わりません。

まさに【西貢大街】、70~80年代の雰囲気がうまく保たれてるようです。

長洲や南丫島などより、もっと島らしい風景が見れます。


【西貢大街】を沿って行けば、行くほど、

見応えある古い建物が少なくありません。


鳥籠をぶらさがってるところもあります。

独特な一角です。

              
路地に山ほどよさそうな売店、茶餐廳などを見かけたので、

どれもステキそうで、入りたくなります。

この部分の記事だけ明日まで持ち越しです。


【西貢大街】を抜け出して、別角度から振り返ってみたら、

この景色です。


海沿いのことだから、【天后廟】は絶対どかにあると思いながら、

次の瞬間に目の前にバッタリ遭遇した。

1916年の再建で、【協天大帝】(關帝)のお寺がここをくっつけ、

今のような一列な廟が立ち並ばれてる形になりました。


その【天后廟】の隣に、このような階段道があります。

実はここから西貢墟を一望できる丘公園にアクセスできます。 


丘とは言え、それほど時間かからず、頂上までに三分もしなかった。

見晴らしはこんな感じです。

感動するほど絶景ではなかったが、西貢墟のスケールが一目瞭然です。

少し休憩したら、再び街へ。



西貢墟からちょっと出たところで、この牌坊がすぐ目に入ります。

その裏に十棟の5階建ての住居ビルが先ほど萬宜水庫の建設に関与します。

建設による、いくつの村落が移動しないといけなくなり、

まさにこの「新村」は村落の住民たちを納めるために作られました。


牌坊のすぐ隣に、貴重な植民地時代の郵便ポストを発見しました。


さらに大通りに進むと、真っ白な西洋風の建物が目立っています。

今は教会と幼稚園になっていますが、

実は1940年に完成されたこの建物が日本占領時期に憲兵隊本部として、

徴用されたことがあります。

終戦後、憲兵隊が建物から撤退することを拒否した歴史もありました。


なぜか西貢墟の周辺に学校がとても多かった、

しかも古いものばっかりです。

上に「新村」牌坊の写真の中、奥に「西貢公立學校」の姿も見れます。

1995年より廃校となっている、20年以上も放置されています。

この黄色ペイントされた校舎がまだ健闘中みたいです。


それほど広くない西貢墟ですが、

午前中さえあれば、ゆっくり回れました。

次は【鹽田梓】へのフェリー乗り場へ行きます。

行きたい方にアドバイスがあります。



西貢埠頭に結構いろなタイプなツアーのフェリーチケット販売ブースがある、

【鹽田梓】だけではなく、

【地質公園】、観光客に人気な島やビーチなどに回るフェリーもあるため、

間違わないように、事前に正確な購入カウンターを見つかって、

フェリーチケットを購入しておいた方が賢明だと思います。


チケットの購入とともに、【鹽田梓】の観光案内地図がもらえます。

そして、ラベルも一枚もらい、わかりやすいところに張り付けば、

乗船から【鹽田梓】の各箇所への観光までも便利になります。

なぜなら、このラベルないと一部の観光施設の見学が有料となるからです。

一部の観光施設の見学が有料となりますからです。



フェリーの時刻表はこのようなります。

【鹽田梓】に関する公式サイトは下記:
http://www.yimtintsai.com/

ぜひ、この違う味島をお訪ねてみてください。

↓このブログをご覧になって、いいと思ったら、ポチっと押してほしいです。
↓你按一下,我個blog就可以係日本或香港更受人關注,可以令更多人有機會睇到!

にほんブログ村 海外生活ブログ 香港情報へ

2016/11/29

香港のカトリック教の発祥地~西貢鹽田梓村

昨日の続き、単純な道も続いているが、

同時に島巡りもいよいよフィナーレです。


今度はこの隣の【滘西洲】につながる「玉帶橋」に着きました。

島内はまだ農業を営む時代だった頃、最適な田んぼはあまりなく、

隣の島の【滘西洲】までに勤めに行く人が多かったが、

海に浸かながら、渡るしかなかった。

周囲は干潟のため、

潮満ち溢れることで溺れて死んだ人も少なくなかった。

1950年代、それ以上の被害が出ないように、

あの『カドゥーリー農場』のカドゥーリーさんから建材を提供して頂く、

「玉帶橋」を作りました。

二回にわたる増設もしたことで、今でも橋の底部分でその跡がみれます。


「玉帶橋」と別れ、次の目的地の「塩田」を目指し、再び歩き出した。

途中の所々道の表面に特別なマークが見れます、

そして、「1964」という数字も書かれています。

島内の唯一のきれいな道が1964年大学生社会貢献チームによる、

建てられたことを意味します。



徐々に下り坂に沿って行くと、

マングローブエリアに突入し、そこから塩田を見学してる人々を覗けます。


マングローブをスルーするわけにはいかない、

なぜなら、ここで間近にムツゴロウとシオマネキがバッチリ見れます。

話による、【香港ウェットランド・パーク】より臨場感があり、

現場を見ると、子供たちが一番喜ばれていますね。

しかも大量ということで、見つからない方が難しいです。



いよいよ最終目的地の塩田、ちょうどボランティアがいて、

少し話を伺うことができました。

100年以上眠ってた塩田を復旧させたのが元原住民だった村長と、

先祖が原住民のボランティアたちでした。


ここは流下式塩田だそうです。

簡単に説明すると、潮の干満を利用する方法です。

遠浅の干潟を干拓し、その砂地を平坦にする。
満潮の時に海水を塩田の潮まわしと溝渠に入れ、砂の間隙に浸潤させる。 
日光と風力で水分を蒸発させ、その一方でひとがくわで砂を反転させ、
十分に着塩させ、2、3日間天日にさらす。 
着塩した散砂を沼井(ぬい)に入れ、海水の5~6倍の濃度のかん水を得る。
(wikipediaより)


塩田それぞれ段差を付けさせて、日にちをかけて流させ、

塩分の一番高い部分が最終的にこの小さい容器を集結させます。


残される作業は異物を排除するだけで、

作り出した塩がここで保管するようになります。

かつで西貢の全体住民の使用量を支えてた塩の産地ですが、

今はこの皆さんも忘れかけてる歴史をよみがえらせるために、

この塩田見学が行われてるとのことです。


塩田で有名だけではなく、

ここは香港のカトリック教の発祥地と言われることが有名です。

1841年、レゴリウス15世はローマ教皇が伝道者を香港へ派遣し、

1864年、一部の伝道者が鹽田梓までにやって来ました。

1866年、先住民の30人が洗礼を受けることを決意しました。

1875年、島の全部住民も受洗しました。

1890年、今でも健在してる【聖若瑟小堂】が完成されました。


最初に入れなかった聖堂が夕方ぐらいに入れました。

聖堂の外観がシンプルで、中に豪華な作りもありません。

真ん中は聖壇、中国の特徴の色合いが取り入れてることもわかります。




1948年、1962年、二回も修繕が行われたが、

1990年代以後、住民が島から離れることによって、

聖堂まで廃墟状態になっていました。

2004年、島の活性化活動を開始するとともに、

三回目の修繕工程も展開するようになった。

今、日頃にもカトリック教徒の聖地巡礼で訪ねて来る姿がいます。

ちなみに、聖堂が既に三級歴史建築物として認定されています。


【聖若瑟小堂】を一通りに回ってきたところで、

島一周の散策がここで終わります。

スタート点の【鹽田梓村公所】に戻り、

西貢埠頭に戻る船の到着を待ちます。


おまけに、鹽田梓を一周するルートの公式地図も付けます。

懸命な活性化活動の成果が今回の見学を通して、

物凄く感じ取られます。

既に放棄された島に対する思い、情熱が人の心を動かす、

気持ちよく島を一周して、その歴史を知る、

土地と産業を実感するというアドベンチャーパークのような島に仕上げて、

とても感心します。

香港をテーマとするアドベンチャーパークはきっといつか作ってほしいです。


↓このブログをご覧になって、いいと思ったら、ポチっと押してほしいです。
↓你按一下,我個blog就可以係日本或香港更受人關注,可以令更多人有機會睇到!

にほんブログ村 海外生活ブログ 香港情報へ

2016/11/28

アドベンチャーパークのような西貢鹽田梓

20年以上廃村になってる小さい島ですが、

2013年、元住民たちからのボランティア的な活性化活動により、

今は歴史的な島が『アドベンチャーパーク』のように生まれ変わりました。

若い者をはじめ、いろな世代の見学者も訪れるようになってきます。

ちょいブーム的な存在でもあるみたいので、

遂にこの間にブームを乗って、行って参りました。


西貢埠頭の西に位置する【鹽田梓】、また【鹽田仔】を称する島ですが、

原住民は1700年代から中国内陸からから移り住み、

天日製塩の技術まで持ってきて、この島から塩作りを始めて、

次第に塩作りの規模が島の全体まで広がり、

一時期、香港最大の塩産地になったため、

名付けられるようになった説があります。


西貢埠頭から小さい船で10分ほどの距離ですが、

あっという間につきました。

平日はほとんど人いませんが、

土日になると、見学者がたくさん押し寄せてきます。

島に着いた時に撮った一枚写真にあまり人の気配いないものの、

実際、本当に多かったです。


島を上陸したら、少し歩いたら、【鹽田梓村公所】が見れます。

ようするに「村役場」でしたが、

今は綺麗にして、屋外の食事処になっています。

待ち合わせ場所や最終の集合場所として、よく利用されているようです。


ちなみに、【鹽田梓村公所】の目の前にある大木も百年樹齢があります。

ちゃんと舗装された道を沿って歩けば、

まず、廃墟化されてる建物がずらりと立ち並ばれています。

最盛期の鹽田梓村が1200人の住民もいたが、

1960年代末から、出稼ぎのために、島から離れ、

また一部、イギリスなどに移住しに出て、

1990年頃、島内に最後の一軒の住民も島から出てきました。

それ以後、完全な無人島になりました。


今回見学した時に、数多くあの時からの姿の家が見れますが

単なる廃墟だけではなく、屋内にタイムスリップされたまま様もあるし、

建物の扉、窓もあの時代の深みを感じ取られます。

アーティストから仕掛けた窓もあっちこっちも目立ちされています。


道がさらに奥へ、高台から下に見下ろすと、

既に復活させた塩田を一望できます。

間近に見学や体験することも可能で、

とりあえず、あとで行きます。


その反対側に階段を登ってみると、

1846年創立し、島内に唯一の学校~【澄波學校】がみつかります。

もう廃校になったから、鹽田梓村の「ヘリテージギャラリー」にしました。

4つテーマを仕分けて、

農業、産業、日常生活や教室に関する展示品が並ばれています。




なぜか懐かしく感じます。



学校からの階段があって、登り詰めたら、

鹽田梓村を代表する教会がありますが、

ちょうどミサが行われてるので、後回しことにします。

廃墟化の建物がまだまだしばらく続きます。


次に、最もこの島にすごい影響を与える人物、
(その背景は別の記事で説明します。)

「St. Joseph Freinademetz神父」(聖若瑟神父)の旧居遺跡です。

独特な雰囲気で、まるで映画のセットみたいです。


道は細くなりますが、指示の表示がきちんと見やすいところにあり、

島内に唯一の井戸まで導かされています。

60年代から、隣の島にダムができたことによって、

水不足の問題が少し解消されました。

90年代、政府から貯水池を増設してから、

この井戸に頼ることもなくなりました。


井戸を後にしたら、山登りのような道が続いています。

緩い坂道で、歩きやすく、年寄り、子供でも苦になりません。

途中に、東屋のような休憩する場所も設けている、

まさか、BBQできる施設もある、

少人数から大勢でも楽しめる島としみじみわかるようになりました。


山頂に近いところに、隣の島まで見れるようになり、

まったく違う雰囲気の島、あの一面な整ってる芝、

賽馬會滘西洲公眾高爾夫球場の顔になっています。
(カウ・サイ・チャウ・パブリックGC)

ゴルフ場が素朴な島のすぐ隣にあることで不思議ですね。

平日に限り誰でも一般市民でも予約して、プレー出来ますが、

これから行くチャンスがあるだろうか。


つづき

↓このブログをご覧になって、いいと思ったら、ポチっと押してほしいです。
↓你按一下,我個blog就可以係日本或香港更受人關注,可以令更多人有機會睇到!

にほんブログ村 海外生活ブログ 香港情報へ