2016/03/31

最長のエスカレーターの下の歴史

去年秋ぐらい、

セントラルの「ミッドレベル・エスカレーター」を利用する時、

一角の風景に対して、気になってて、

「あれ!なんかありそう!?」

今までの取材で育てられたカンが反応した、

すぐに謎のままで頭にはてなだらけに、

とりあえず、写真を撮って来ました。

これだ!


何も思えませんよね?

そして、半年経過したら、この謎が解けました。

なんとそれは香港の中心部に最長の古民家の遺跡地だそうです、

単なる歴史研究家によるリサーチ結果で、

政府側からの認定はまだまだのようです。

今になると、はっきり壁らしきものがみえるようになってる、

この壁は古民家の壁である、しかも一軒の家の壁ではなく、

五軒の家で共同使用されてる壁であります。

1903年香港植民政府による新条例、

必ず、建築物の背後に1.8メートルの路地裏を保持すること、

よって、この壁の作りから見ると、

1903年以前で建てられたものと考えられてます。

(明報新聞よりの写真)

壁の青レンガを検証してみると、

建物自体がさらに遡りの1887年以前で建築された可能性が出てきた、

あの年、植民政府からの条例の規定により、

建物の最下層は赤レンガを使用しなければなりません。

また、1887年建物の本来一部の売買記録があったため、

建物の所有権は一人以上とわかった、

壁の一貫的な作りから見ると、同時に建てられ、

この民家の所有権は一人のものだったと考えられてる、

まさにもう一つの1887年前で建てられた証拠になっています。

当時の一貫の建物の配列はこの図面のようです。

(明報新聞よりの写真)

総合的の1860年代の遺跡だと判断された、

わりとお金持ちの香港人家という推測もあります。



では、なぜ今さら気づいたかどういうと、

二本道と真ん中にある遺跡で小さな斜面に構成され、

エリア開拓当時、取り壊すにはいろな探査作業が必要、

その上、莫大な費用も発生するかもしれない、

それほど手間と費用をかけたくないため、

結局、擁壁にしてしまった。、

その周辺にある建て替えた民家が1967年から、

建物の老朽化のため、取壊しに申し込んだが、

作業終了後に土地が政府に戻し、

そして、ずっと囲まれて、外部からあまりみれなくなり、

気づかないも当然だろうね。

今後、ちゃんとした「遺跡」として、世の中に公開してほしいです。




遺跡の場所:閣麟街25-33號辺り

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