2014/06/30

6月30日こそ記念日

6月30日こそ記念日、

私にとって、

香港人にとって、

17年前の今日、

イギリス植民地の最後の日でした。

写真はその日の新聞見出しです。

率直な感想を言いますが、

明日7月1日だ、当時まったく何も感じなかった。

なぜなら、中国に対して、

学校で勉強してた歴史以外、

何も知りませんでした。

7月1日になった日、

私も普通に過ごしました。

人が成長と伴い、

仕事で中国と関わることが多くなり、

中国人の考え方がわかるようになり、

段々返還の重みが感じてくるようになりました。

心境はかなり複雑です。

育った母が子供を産み母に渡したようなもんかな?

ストーリは全て、

新界が1898年の香港領域拡大協約によって、

99年間の租借が決まったことからですね。
(写真:http://www.oldhkphoto.com/)

2014/06/28

香港土地の話

以前話した土地の話の続きです。

香港の土地ですが、

植民地になってから、

政府から賃借される形となっており、

リース期間はいくつのパタンがあります。

1842年~1848年の間で借出す香港島サイド土地ですが、

ほとんど75年でした。

1848年~1898年の間で借出す香港島サイド土地はほとんど999年、

北角、湾仔、セントラル、上環、ピークこの辺り土地ばっかりです。

九龍サイドは尖沙咀スターフェリーピア前の星光行、

その他は一部尖沙咀の土地のみです。

なぜかそんなに簡易で999年のリース期限を決めるのが、

殖民地政府が香港は既に永久割譲された土地だと思ってるからです。

それ以外の香港と九龍の土地は75年と、

さらに75年延長可能で合計の150年リース期限です。

新界の土地のリース期限は99年です。

なぜなら、イギリスは拓展香港界址専条により、

1898年7月1日から九龍界限街以北と、

新界の土地を中国から '"99年リース " という形で借りたからです。

そして、1997年7月1日以後で借出す土地ですが、

全て50年期限しかありません。

Government Rent: 土地賃貸料というものが、

中国返還にあたり浮上してきました。

そのため、1997年7月1日以降、

政府が不動産の持ち主にこレントを追徴することになりました。

算出法は香港政府が査定した該当物件 の年間賃貸料の 3% で、

年間 4 回に分けて別途のレーツ ( 年間賃貸料の 5%) と

一緒に請求されることになります。

今だと、リース期限999年、150年の契約がまだ終了してないので、

追徴はまだされていません。

一番有名な例は”太古城”です。

土地のリース期限によるの3%Government Rentですが、

わたし的は結構大きいだと思いますね。

2014/06/26

赤柱(スタンレー)の名前の由来

赤柱(スタンレー)について、

まず名前の由来、

山ほどな説があります。

カポックの木がたくさん立ていて、

夕日の日差しを染めた光景が一本一本の赤い柱に見えるからという。

もう一つ説ですが、

この周辺が多く海賊が住み込みようになり、

「賊住」を言い始めた、

「賊住」の客家語発音ですが、

広東語の「赤柱」に聞こえてくるからという。

以上二つとも有力です。

ちなみに、当時英語名「check ture」でした。

その後、

イギリスの殖民地事務長官のスタンレーさんを記念するために、

命名しました。

最初、1841年、イギリスが香港を占領したばっかり頃、

香港の全体人口調査を行った、

全ての人口4280人の中、

約2000人がスタンレーあたり住んでいます。

それによって、

殖民政府が香港の街作りがスタンレーを中心しようとしてた、

行政商業の中心を作り上げたい矢先、

このエリアで疫病が爆発したそうで、

街作りが断念になった。

それにしても、

西洋人が最初スタンレーに住み始めた理由で、

残されたヨーロピア雰囲気が一番濃厚な街です。

2014/06/25

縁起のいい住まい

空⇒吉

なんでも縁起がいいとは香港人の当たり前の考え方。

値段の最後は3,8,9に付くのが好きですね?

たまに路上で、

このような貼り紙はみたことないですか?

ピンクの紙を注目してください。

<交吉>とは”空き店舗”で引き渡せる意味です。

そもそも、”空”の広東語では”凶”の発音は一緒で、

100%一緒!!!

香港人ができれば、縁起悪い発音意味を避けたいところです。

空き店舗の場合なら、‘吉店舗’で言います。

店舗以外、住宅も同じです。

誰も住んでいない物件は‘吉屋’と言い、

”空き家”と言ったら、

自殺や殺人事件現場の物件の”兇宅”に聞こえる、

むしろそう思われる。。。。。

本当はそんな響きは聞きたくないですね。

しかし、

正真正銘な”兇宅”ですが、

通常価格より3,4割安く手に入れるです。

でも、買う人がほとんど外国人らしいよ。

気にしない人は気にしないね。

2014/06/22

ミニバスの歴史

ミニバスの誕生

遡って、1967年香港で起きた暴動事件はきっかけでした。

既に1960年代から、

9人程度乗るミニバンが新界(New Territories)で運営し始めてる、

家賃が一般バスより高く、

短距離を中心する路線がほとんどです。



そもそもこのような交通手段は違法で、

政府から取り締まれてたです。

しかし、1967年の暴動事件で、

バス運転手がストライキを行ったため、

市民の足は相当足りなくて、

ミニバンが九龍まで走り回ることが政府からの容認を得て、

一気に人気になり、

座席も9から14になり、

合法化になったのが1970年、

政府から経営ライセンスを発行するよりなりました。

それは赤いミニバスの誕生です。

緑ミニバスの誕生と言うと、

ピークからセントラルの1号線ですが、

1972年に政府から推進して、

試し運行の成功を収めた後に定着した。

最初は香港島内限定された路線ばっかりですが、

1979年以後、

九龍、新界にも進出を果たしました。

1988年から、

座席も14から16になり、

現在に至ります。

2014/06/21

ビールと広東料理の関係性

ビールと広東料理の関係性、

前、香港の人があまり料理を食べながら、ビール飲まない話ですが、

実は圧倒的飲まないことではなね。

露天屋台でできた炒め料理と海鮮料理の場合、

意外と飲んでる人が多いですね、

大体、忙しい一日の仕事が終わって、

疲れ果て、何人かの仲間とそういう露天店舗に行って、

しゃべりながらアサリの辛口炒めやゆでエビに、

よく冷えた青島ビールを飲む場名がよくみれるかもしれないですね。

特に力仕事の人がこのような場所で楽しむ人が多いです。

たまに、上半身の裸の中年人たちを発見するよ?

また、広東料理自身が鮮度の味で勝負するものが多く、

酒を飲みながら食べるなら、

繊細な部分までは味わえなくなる恐れがある。

もう一つ問題は炭酸ですね、

大体、広東料理を注文する時は品多く、

もしビール飲んだら、

胃袋には収まらないだね。

特に女性、もっと厳しいでしょ!

しかも、料理は日本のように順次に出してくるではなく、

一気に出されることが多い、

冷めないうちに食べておくのが最優先でしょと考えてるだろう。

飲むなら、

その後、ゆっくりしてもいいじゃないという考え方でしょうね?

2014/06/20

一夫多妻制を代表する建築物

以前1972年まで、香港はまだ一夫多妻制を実施された話ですが、

この制度に関する象徴的な建物を紹介します。

なかなかネット上でもこの面貌が見つかられなかった。

グーグルマップを頼って、

2枚の写真をピックアップさせて頂きました。

場所ですが、

ピークの”馬己仙峽道27號”(Magazine Gap Road)です。


噂による、

この建物は1930年にマカオでカジノ事業を始めた元祖創立人、

傅老榕さんのものです。

当時、傅氏はとても有名人で、

香港の四大家族の中の一つと知らされています。

一夫多妻制が容認された中、

傅氏は妻も4人がいまして、

しかし、4人とも仲悪いようです。

よく喧嘩するために、

傅氏がとても悩まされた。

最終的に、よい案を思いついた、

それは四階建ての家でそれぞれを分離して生活することです。

しかも、それぞれの階の出口の向きが違う、

それによって、

抱えた悩みを解決したようです。

今でも、あのままの風貌がまだ維持されています。

現在このような特別な建物が極めて少ないです。

一つの歴史、一つの物語、一つの建物もちゃんと残ってほしいです。

傅氏の後継者ですが、

香港の不動産業界に活躍しています。

2014/06/19

お酒の付き合いについて

お酒の付き合いについて、

香港で生活している日本人はなぜか中華レストランで、

お酒を楽しむ香港人の姿はあまりみないという質問があるだろう!

会社の中の香港人同僚と一緒に晩御飯に行っても、

あまりお酒を注文しないよね?

注文するとしてもビール一杯ぐらいかな。

香港人はお酒を楽しめたいなら、

バーとか行くですね?しかも、友達限定と。

でも、日本の飲む文化は大学時期から始まって、

そしてサラリーマンになっても続くものだと思う。

営業マンとか週1回、2回ぐらい同僚、

同業の人あるいはお客と飲みに行くのは避けられないことですが、

純粋にお酒を楽しむではなく、

仕事の一部として欠かせない手段ですね。

しかし、香港人にとっては、

飲みに行くとは私生活の一部だけです。

もし可能であれば、家族とか友達としか飲みたがらないです。

宅飲み、バーに行くなど、

飲みながらおしゃべりするのが一般です。

香港人の生活哲学の一つかもしれないですが、

仕事と私生活をはっきり切り離すことです。

また、女性あまり飲まないイメージはあるですね?

それもお酒が飲める年齢になったとしても、

女性の仲間たちでワイワイ飲みに行く習慣はなくて、

カクテルでゆっくり飲むことが多かったからでしょうね。

もちろん、例外があります。

世間、特にビールをひたすら飲む人や酒強い女性にに対して、

不良、水商売をしてると思われることが多かった。

そのために、

香港の女性がワインや、カクテルを注文する多かったですね

2014/06/18

香港の茶餐廳の第1号の続き

第1号の茶餐廳の続編、

漁利泰茶餐廳ですが、

当時の住所は香港仔東勝道26號にあって、

経営した26年目から一旦休みになり、

1996年が再開、2007年がクローズになった。

キャッシャーに座れたのが初代”冼さんの二代目”冼培安さん”。

漁民がよく訪ねられる話もありましたが、

もう一つの目的はお見合いでした。

普通のレストランにしたら、

高級しすぎで、

魚船で行うもみすぼらしいため、

茶餐廳で行うのが主流になってきた。

また注文を受ける方ですが、

茶餐廳が30テーブルにあるにもかかわらず、

店員さんが全てメモなしで、

記憶だけでオーダーを取ってる、

会計も皿数で計算できるらしいです。

ミルクが少なめ、砂糖なしなどのお客様の特別な要求に対しても、

しっかり覚えて伝えたらしいです。

記憶力がすごい人の集まりでしたね。

このような素晴らしい茶餐廳の話を提供して頂いたのも二代目の冼培安さんです。

本当にありがとうございました。
(写真:http://www.oldhkphoto.com/)

香港の茶餐廳の第1号

香港の茶餐廳の第1号~漁利泰茶餐廳

60年代頃、香港には洋風レストラン以外、

”氷室”という喫茶店みたいな飲み物メニューを中心になってる店しかありませんでした。

ケーキやパンも提供してないものの、

数少ないご飯がオーダーできます。

そして、香港機関が第1号の茶餐廳経営ライセンスを発行すると、

飲み物以外、多種類の食べ物の販売も容認するメリットがあり、

漁利泰茶餐廳の初代経営者”冼さん”に進められた。

当時冼さんが2つ映画館の真ん中の店舗を獲得したところで、

映画館からのお客さんがさえ来れば、

安定する収益の確保ができるはずと思われて、

それで香港の茶餐廳の第1号を誕生しました。

この第1号は香港仔(アバディーン)にあります。

当時、漁民も結構訪れ、

深夜12時まで営業されるので、

魚民たちが夜食を取るために遅くまでいたというです。

当時のミルクティーですが、0.4HKドルでした。

屋台や氷室の0.3HKドルに対して、

やや高めでした。

話はまだ続きがあります。。。

(写真:http://www.oldhkphoto.com/)

2014/06/17

香港海底トンネル建築する目的

香港海底トンネル (Cross-Harbour Tunnel/香港海底隧道)は、

香港で最初に建設された海底トンネルである。

1972年8月2日に開通し、

3本ある香港の海底自動車トンネルの中では最も古いものです。


このトンネルを建築する目的ですが、

軍用であることがあまり知らされてなかったです。

1967年、香港はスターフェリーの運賃値上げ問題によって、

暴動を勃発されて、

恐らく香港の一番動乱してる時期であって、

最終的に納めたが、

でも、この期間中、フェリー職員がストライキを行ってた。

その上、主な暴動場所が九龍であり、

香港側の警察を派遣したくても、

困難であることが気づかれました。

一般市民のため、

警察の保安政策のためにも、

海底トンネルの建築が必要となりました、

暴動治めた翌年、

1969年9月1日から建築を始めた、

現在では、香港や世界で最も混雑する道路の1つとなっている。

どころで、

香港島銅鑼湾の北、ビクトリア・ハーバーに浮かんだ島であった。

奇力島(Kellett Island)と言う、<写真は1948年で撮影されたもの>

このトンネルを建設するために、

香港島と奇力島の間の海を埋め立て、

奇力島は独立した島ではなくなり、

香港島と繋がった。

もともと奇力島だった場所が、

ロイヤル・ホンコン・ヨットクラブ(香港遊艇会)と

ネル入口と出口の所在地であります。

さらに、

実は香港のミニバスはこの1967年の暴動によって、

生まれました。

詳しくはまたいつか話すね。

2014/06/16

植民地のルーツ

初めて香港の地で、

イギリスの旗を指された場所~”水坑口街”(Possession Street)

水坑口街は上環(Sheung Wan)にあります。


阿片戦争の末、

1841年1月20日には琦善とエリオットの間で川鼻条約

(広東貿易早期再開、香港割譲、賠償金600万ドル支払い、

公行廃止、両国官憲の対等交渉。

後の南京条約と比べると比較的清に好意的だった)が締結された。

当時イギリスの海軍将校Edward Belcherさんが軍艦を率いて、

香港島の西に上陸し、

丘のようなハイランドで軍のキャンプとして使用された。

1841年1月26日の朝、国旗掲揚と発砲セレモニーを行って、

正式に香港を占領したをアピールしました。

最初、海からこのハイランドまでの道を建築し始め、

この場所はPossession Pointと命名した、

占領ポイントという意味です。

その後、地元の反感を減らしたいため、

水溜りのような地勢特徴を利用して、

道の名の漢字は”水坑口街”にしました。

現在この街の近くにある”荷李活道公園"ですが、

当時のキャンプ地という説があり、

公園中にもこの部分の歴史や写真が記載されます。

香港の植民地のルーツはここから始まるとは過言ではないです。

2014/06/13

割引きタクシー

みなさん、このようなタクシーの運転手席が見たことがありますか?

これは20%割引きタクシーというですね。

事前予約できるし、安いタクシーです。


大量お客様のネットワークを持って、

事前にお客様の行き先がわかって、

運行計画が把握できるのがコスト削減につながってくるため、

運賃が安くなるわけです。

とにかくいろなネットワークからのお客様の依頼があって、

携帯電話が何台を持っていかないと、

まわし切れないというです。

たとえ自分がこの依頼が対応できなくても、

同類のタクシー仲間に回せる手があります。

例:西貢⇒空港 というお客様の依頼です。

運転手がすぐ西貢にいけなければ、

西貢の周辺にいる仲間に仕事をまわすわけです。

逆に仲間から回された依頼もありますね。

お互いうまく連携すれば、

運転手が無駄な動きをしなくて、

多くお客様を乗せることが利益を生み出すポイントです。

住んでるマンションのポストに、

たまにこのような変な名刺もらったことない?

これは8割引タクシーの名刺です。

大体値段は名刺の裏で書いています、

橋代、トンネル代を含まれてる運賃です。

私はた~まに使うですね。

それにしても、

香港のタクシー運転手は本当に頭使うですね!

稼ぐために、

手段を問わず、

香港の一部現実ですね。

2014/06/11

東涌の大砲台

東涌の大砲台を紹介します。

東涌はケーブルカー、アウトレットしかないと思われてるが、

実は一番古くて有名な遺跡がここもあります。

約200年前から作られたお城があります。

清政府がこの周辺の海賊を見張るためで、

6台の大砲まで設置される軍地目的な場所です。










当時は”所城”といいます。

城の正面入り口で”拱宸”と書かれています。

城の中で広場がありまして、

兵士の部屋も2つがあります。

海賊がなくなった以後、

部屋が学校になり、

でも、2003年に廃校になった。

今でも城らしい部分がまだ残っています。

中でも地元の生活や耕作用品など展示されます。

昔このエリアで地元がどんな生活をされるか感じられますね。


スケールは大きくないですが、

東涌に空いてる時間があれば、

ぜひ、訪れてみてください。

東涌駅B出口外からランタオバスターミナルから23,11,3Mから10分ぐらい着けます。

住所:大嶼山東涌下嶺皮村

デザートのおみやげ

いくつの香港を代表デザートはコンビニでも買える。

紅豆沙 <あずきの おしるこ>

綠豆沙 <昆布入り緑豆ぜんざい>

楊枝甘露 <マンゴーとタピカオの柑橘ミックス>

デザート屋さん以外、

急に食べたくなる時、

どうしょうもないです。

昔なら、

住んでる団地の周辺なら、

必ずデザートを販売してる流動屋台があります、

今だと、

なかなかみつからないですね。

コンビニでも買えるようになると、

ちょっとうれしいですね。

冷やして食べてもよし、

暖めてから食べてもよし、

これは日本へお土産で持って帰ってもいいかな?

もらう人は喜ぶでしょうかね?

2014/06/10

東寶小館

屋台に匹敵する市場【街市】フードコートを紹介します。

この間、日本人友達と一緒に行きました。

香港在住日本人にも有名になってると思いますが、

北角<NORTH POINT>にある市場の”東寶小館”、

やっぱり日本人お客さんがたくさん来るだろうね、

メニューまで日本語をちゃんとしています。
★変な日本語も見れますが、いわゆる酢豚←受ける!







海鮮はもちろん、鍋料理、家庭料理まではいっぱいある、

メニュー見るだけでも悩むですね。

でも、味は地元の人の好みに違いない、

値段もリーズナブル。

”東寶小館”以外、またほかの店もあります。

それにしても、土曜日の夜に行ったり、

ビッシリな人混み、

事前に予約しないと入れないね。

北角だけではなく、

結構ほかのエリアの市場【街市】もこのようなフードコートがあります。

香港全ての市場屋台を制覇するのが夢ですが、

まだまだ、一部しか訪れてなかったですね。

上環(Sheung Wan)の市場屋台は以外と空いてるかも。

”東寶小館”情報:
住所:99, JAVA RD, NORTH POINT 2/F COOKEDFOOD CENTER
電話番号:2880-9399、2880-5224
上環市場情報:
住所:Food Market, 1 Queen's Road, Sheung Wan

2014/06/09

ランカイフォンの名前由来

蘭桂坊(ランカイフォン)Lan Kwai Fongの名前の由来、

いろな説があります。

有力のが3つに分けられます

1)一番最初ここを開発する不動産屋さんの陳献章さんの別名で、
  中から2文字を取って作られたものです。

2)戦後、この辺りが蘭を販売する集中地になってるからです。

3)西洋人がこの辺多く集まってくるようになり、飲み倒れになり、
  人に絡むようになり、広東語で”爛鬼”(ランカイフ)<酔っ払い外国人>
  という人たちの集まり場所を指してることです。

今でも、どれが確実かまだ正式な研究結果はありませんです。

しかし、今でもいえるのが、

香港島で一番最初西洋風な建物を建てられたのが蘭桂坊の丘の果てです。

1841年、イギリスが香港を占領してから、当年9月が既に建てられたというです。

当時の警察監督William Caineさんの住宅だそうです。