2017/01/13

すべてがHongkongから始まり

皆さんの知ってる香港の英訳~「Hong Kong」ですが、

中国に返還されてすぐ20年になっても「Xianggang」にならなく、

よかったとホッとしてるのがわたしだけではないと思いますね。

そもそも「Hong Kong」という英訳に定着したのが1842年以後、

アヘン戦争を終結させるため清とイギリスの間で結ばれた南京条約による、

香港島が割譲された時でした。

しかし、あの頃にまだ英訳に普及されてなく、

捉え方にも様々、実はまったく統一性がなかったようです。

あるHSBCの大ベテラン従業員による、

HSBCの社名の「Hong Kong」がみんなに認識されるものではありません。
(HSBCの社員の全員も知ってるはずだって!)

「The Hongkong and Shanghai Banking Corporation Limited」ですが、

何か違いが気づきませんでしょうか?


そうです。「Hong Kong」ではなく、

「Hongkong」です。つないでるです。「K」ではなく、小さい「k」です。

先ほど話したように香港が割譲された間もない頃、

民間には統一性のないため、当時社名を登録する時に、

「Hongkong」を使ったことから生じた逸話です。

時代の進歩とともに、

「Hong Kong」という分けてある並び方が浸透し始めました。

この見慣れない並び方がある意味、歴史ものの証拠にも言えます。


HSBC以外、120年の歴史を擁する「香港電灯集団」も、

なかなか社名が見れないが、

会社のロゴでもつないでる「Hongkong」を覗くことができます。

この二社以外、ほとんど見当たらないです。

小さいなネタですが、友達の前にも自慢してみてください。

ちなみに、「Hong Kong」になる前には「Heong-kong」でした。

やはり「Hong Kong」の方がかっこうよくみえますね。

では、なぜ「Kowloon」はつないでる?!実は。。。。

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2016/12/21

未完成の食レポ~照龍點心專門店

これはずっと気になってるお店の一つ、

老舗ではないが、毎回ランチタイムに通りかかる時、

店内に眺めると、いつも混んでいて、

せっかく飲茶の店だから、もしかして【添好運】の経済版!?

遂にこの間、ランチタイム後の時間帯で試しに行きました。


お客さんはあと二テーブルぐらい残っている、

チェーン店に見えるが、内装は特になく、平凡は特徴かも。


注文方法は主流になってるリストから【☑】する式、

今回は一人だから、目が点心より、【蒸飯】の方に行っています。

ご飯だけお腹いっぱいさせることができるから、

失敗してもいいかなと思いながら、店員さんに注文をお願いしました。


確かに向い側のテーブルの上に、いろなおいしそうな点心が見えた、

どれでも繊細な出来上がりという印象でした。

桂花糕(キンモクセイケーキ)、エビ餃子、牛肉腸粉、

鮮蝦腐皮卷 (エビ入り湯葉巻きの揚げ物)などなど、

どれでも作品に見えます、さすがに写真が撮れませんが、

絶対二度目あると決めた瞬間でもあります。


あれもこれもチェックしながら、10分を経過し、

まだ何も持って来ないなと思って、聞いてみたら、

まだ蒸してると教えてもらった、

どういうことは注文を受けてから作り始めるとのこですね。

さらに5分を経過したら、ようやくわたしのランチのご登場です。

【煎蛋牛肉飯】です。いかがでしょうか?


分かりやすく説明すると、「牛肉の蓮の葉包み蒸しご飯と卵乗せ」です。

すでにほのかな香りが漂っています。

写真では写れなかった湯気ですが、アツアツ感も伝わってきます。

さらに、ウスターソース(広東語:喼汁「ギッチャム」)を付けました。

食欲がそそられる絵になりませんか?

早速頂きます!


まるで「牛肉ボール」のジャンボ版を食べてる感じ、

しつこくない甘みである肉にパセリが役立ちます。

卵を加えたら、ご飯は進みます。

あっという間に完食しました。

これぐらい手間かかる一品なのに、ただの35HKドルで、

良心的な店に違いないと確信した、

それにしてもこんな商業エリアのランチ激戦区に、

勝ち残れるお店はきっとその腕が実力を持っていますね。

次回の点心のチャレンジはますます期待できます。

大勢で行きたいので、誰か一緒に行ってみませんか?


住所:長沙灣青山道475號地下
営業時間:月~日(0700~2300)
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2016/12/20

軍艦島状態内の遺跡~馬湾

まさに馬湾の一角が香港の軍艦島状態になってる、

昨日の続きで馬湾旧村のメイン通りに沿って進みます。

そもそもなんで馬湾で呼ぶようになったかどういうと、

いくつかの説があるが、その大昔に「銅錢洲」という名前は確かでした。

島が穴あき古銭の形をしてるからだそうですが、

どう見ても似てませんが、千年前なら、ありうるか?


南方面から島を眺めると、馬に見えるという説もあるが、

原住民が「天后廟」のことを「娘媽廟」で呼ぶ、

なぜか「娘媽」が「娘馬」に読むようになって(訛りのせいかな)、

相当「天后」を信じてる理由で、

敬意を払う意味で、島のことが「馬湾」を称するようになった説も聞きます。

どれか正解か今だ定論がありません。





10年前はこの辺りにまだ人が住んでいたが、

今になると見学者の喋り声、ジョギングする人達の音しか聞こえません。

あとは周辺のカメラのシャッタ押すぐらいです。

テーマパークのお化け屋敷アトラクションに遊びに行ってる、

日頃でも何か出てくるような雰囲気が不思議でした。




いつのまにか海側に近づき、歴史的な建築物が見えてきた。

まずはこの湾岸の名前を教えてくれる牌坊が目立っています。

たとえ、塗装が褪せてきて、外観が老朽化になってきても、

存在感が失っていません。

ここが「汲水門」という昔から中国と香港の間に重要な水路の一つと言われ、

かつて乱流が発生しやすい水路でも有名で、

それ以前「急水門」と名付けられました。

やはり不吉の名前を懸念して、

最終的に諧音である「汲水門」を改名しました。



牌坊のそばに取り残されてる滑り台がありますが、さみしい風景です。

但し、休日はモデル撮影、結婚写真をする人達が結構集まられています。

取材当日もそうでした、決して鳥肌を立たせる環境ではありません。

滑り台の反対側にまた何か古臭い建物が雑草に隠れてるようです、

近付けてみると、

さらに重大な発見があります。


只者ではないと感じさせてくれたのがこの石碑です。

1875年2月のマーガリー事件に端を発し、
その収拾のために締結された「烟台条約」は、
入鴉片に対する関税と厘金を海関において、
同時に徴収する「税厘併徴」の実施を規定した。
(★愛知教育大学名誉教授 目黒克彦さんの文書を引用)


1886年、中国輸入品に対する4ヶ所海関のうちのお一ヵ所、

まさにここ馬湾で「九龍関」が作られました。

当時まで新界はまだイギリスの植民地になっていないのに、

相当重大なことでしたようです。

海関から海に道を作りたいため、

イギリスから地元に土地を借りる証拠として、

隣に「九龍関借地七英尺」にも書かれて、既に100年以上歴史もあります。



石碑の裏にさらに細い道があって、とりあえず沿って歩いてみた、

鮮明ではないが「梅蔚」と刻まれてるようです。

1901年の馬湾地図にもこの地名を記載されてるみたいが、

ランタオの旧名は「梅蔚」か、

ランタオの梅窩のの旧名は「梅蔚」という説もあるが、

どちらも確実な証拠がないため、何とも言えません。

ちなみに、南宋最後の皇帝が香港の「梅蔚」で擁立された記載があります。



「梅蔚」にある道に沿って進むと、

ある石碑が海に面して建てられることが見れます。

正面は「南無阿彌陀佛」と刻まれてるが

以前ご紹介した【路上石碑のあれこれ】とは若干違うみたいです。

先ほどの話のように、この辺りは乱流が発生しやすい水路であって、

過去に大きな水難事故があったため、

乱流を征するように地元が僧侶を託し、この石碑が作られたようです。


一連の歴史建築を見た後、

「汲水門」牌坊に戻って、そこの埠頭の端っこまで行って、

振り返って一枚を撮りました。

そういえば、深井と結びつくフェリーがここから乗船でしたが、

廃線になったのがとても残念だと思っています。

一回でこの二ヶ所を探索できるルートは貴重でしたね。



先の来た道に戻り、馬湾旧村のメイン通りに戻った

そして、逆方向に進みます。


依然廃墟状態が続きます。

床屋、茶餐廳の看板や店名も取り残されてるようです。



途中に馬湾の地名由来のカギとなる「天后廟」に遭遇しました。

200年の歴史もあると見られ、

香港近海を根城とした海賊~張保仔の指示で建築された説もあります。

結局今でもその真相がわかりません。


「天后廟」の前には広場みたいなスペースがあって、

少し前でもよく見かける「蝦膏」(蝦ペーストを固めたもの)作り風景、

今日は見れませんでした。

実は馬湾から出産されてる「蝦膏」も有名でした、

現在たまに不特定な場所しか入手できないようです。

地元が単発で作ってるかもしれません。


もうちょっと歩いたら、また桟橋が発見します。

この辺りに結構桟橋があるので、

青馬大橋を背景にする写真が撮りたいなら、

桟橋もいい選択です。


桟橋から大澳を彷彿する棚屋がずらりと並ばれています。

大澳ほど壮大な群れではないが、

漁港の風情が多少感じ取られるでしょう。


島なら、定番のミニカーがまさかここに?

島しかないナンバープレート~VVです。


棚屋の周囲でも柵に囲まれて、

全て政府の土地になりましたよと掲示されています。

なのに、20年に経ってもなにもしないね、もったいないです。


道の番地とかも時々建物にも見られ、

あれからずっと眠ってる番地ですね。


また、途中に「無葉井」も見かけます。

大昔、村人がここから地下水を取って帰るそうです。

森に囲まれてるのに、一度も葉っぱが井戸に落ちたことないから、

一度も葉っぱが井戸に落ちたことないから命名されました。

今は同然綺麗な水が取れません。



棚屋とお別れは突然、ドラコンボードもう引退されたか。

ここから道が上り坂に変わり、

政府土地がようやく工事を始めてるところもあるみたい、

これからまた入場料必要の公園になるみたい、

元々ごく普通の森なのに、

自然と触れ合える公園に変身すると有料になるなんで、

理不尽と思うのがわたしだけ?


本来、大きな道に進むと、馬湾旧村から高級自宅地に戻れますが、

その前に、一本の細い道に惹かれ、

突入してみることにしました。

周りに何もない道を歩くこと5分、

「麒麟亭」が突然に現れます。

青馬大橋が目の前に見えるわけではなかったが、

その裏に道はまだまだ続くように見えるので、もちろん行きます。



さらに歩く1分ほど、突き当りは断崖であって、

大橋の真下の傍の位置で、

この「汲水門」の水路を利用した船たちが間近に見れます。

巨大なコンテナ船が通りかかるところがもっと迫力があると思います。


ここから見上げると、

いつも見慣れてる青馬大橋が近く見えます。

今日何回青馬大橋を背景にして写真を撮っただろう。



ここから夕陽も見たかったが、あいにく厚い雲が集結され、

有終の美を飾ることができませんでした。すいません!

しばらくここボーっとしらら、先の道で街に出るバス停に戻り、

今日の取材を終えました。

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